さて、両市が互いに地理的に相似し、交通の要所としての類似性のみで姉妹提携が結ばれたのでしょうか
姉妹提携成立への動き
【先人達の先見性に育まれて】
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それは“people to people” 姉妹都市は国家間の外交という形式を離れ、人種・宗教・政治的イデオロギーの相違を超えて、市民同士が直接手を握り合い、各分野の交流を通じて相互の理解を深め、尊敬と友情の絆を強めることによって世界の平和に貢献しようとするものである |
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両市の提携は、降旗徳弥市長と村山 有(たもつ)氏により誕生したといっても過言ではない 村山 有氏は、シアトルに生まれ、のちに、母の実家南安曇郡梓川村(現松本市)に育ち、松本中学(現深志高校)を経て渡米する 当時はジャパンタイムス渉外部長であった |
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提携は一般的に地理・風物・産業の類似性に基づくものが多い 戦後のソ市民が日本に寄せた人道愛的な数々の友情など村山氏を通じて知った降旗徳弥市長が感動し、市長の意を受けた村山氏が奔走して実現した |
村山 有氏の言葉 |
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![]() 記念式典の様子 |
両市の姉妹都市提携式は、1958年11月29日松本市で行われた |
![]() ヘンリー笠井氏 |
ヘンリー笠井氏はソルトレイク日系市民協会会長として提携成立に尽くした |
![]() リー市長 |
提携当時のブラッケン・リー市長 |
![]() オルピン博士 |
A・レイ・オルピン博士はユタ大学総長として、また、ソ市長代理・提携委員長として数回に渡り来松し姉妹提携の発展に尽くした 信州大学とユタ大学の姉妹校の提携を実現させた |
![]() 寺沢国子さん |
寺沢国子氏は『ユタ日報』の社長として、松本市とソ市の姉妹提携成立に新聞紙上を通じて支援した |
人物交流時代
【行こう、見よう、知ろう、そして交わろう】
![]() ユタ大キャンパス |
1961年よりユタ大学を主として留学を希望する多くの学生に便宜を図った |
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![]() 保坂菜美(旧姓武井)さんと北野庸子さん(右) |
1976年から2年間、北野庸子さん、保坂菜美(旧姓武井)さんはユタ大学に留学、国際生活スクール事業の企画、指導に当たり、コーディネーターとして活躍した |
![]() 鍛冶倉由美さん ![]() 鍛冶倉さんと寺沢さん |
1984年、鍛冶倉由美さんが留学した 現在松本市に在住 姉妹提携委員会役員として姉妹提携に貢献している |
![]() 小澤いづみさんとユタ大生 |
1988年、小澤いづみさんが留学した |
![]() 篠原正信さん(ユタ大で) |
1971年、当時の深澤松美市長は教員の短期留学制度を発足させた 翌年松本市教育委員会は市内小中学校教員深澤弘信・篠原正信・小林市郎教諭を英語短期留学のためユタ大学とブリガム・ヤング大学(BYU)へ派遣した 1981年より教員派遣は、国際生活スクール団長としての派遣に変わった この制度により派遣された人の多くが現在姉妹提携役員や『ユタ日報』研究会員として活躍している |
![]() 鈴木鎮一先生と児童 |
1966年、鈴木鎮一氏が才能教育研究会の児童・生徒と共にソ市でヴァイオリン演奏を行った |
![]() 主な人々の顔写真 |
1962年、降旗徳弥市長をはじめ長野県知事、各地市長、商工会議所役員、教育者、芸術家などがソ市を訪問した |
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1963年、ソ市からもオルピン・ユタ大学総長をはじめ、上院議員、知事、教育者、モルモン教関係者など多くの人が来松した |
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